苦言と甘言

反対や否定をしてくる人がいた場合、その人が何を成し遂げているかで判断すると見誤らないと思います。

私でいえば、仕事で成長したいから、仕事に関しては仕事で上のフェーズに行っている人の声を主に拾うようにしています。
その他大勢の意見に右倣えしていたら、その他大勢と同じようにしかなれないと思っています。

スグに頭に浮かんだ一例を挙げますが、人一倍勤勉な人だと
「働き過ぎは良く無いよ」
「何でそんなに働くの?」
「適度な休みは大事だよ」
などと言われる機会が、恐らく一度や二度はあるはずです。

この助言をくれた相手が、ほどほどに働きながら成り上がっている体現者なら、或いは傾聴してみても良いかもしれませんが、少なくとも私はそんな人をあまり知りません。
ほどほどに働いている限り、到達点もほどほど止まりです。

私の周りの叩き上げの創業者、一代でガンガン成り上がっている先輩社長や友人社長は、絶対にそんな事を言いません。
彼ら自身も、ずっとハードワーク、若しくはそんな時期を経て今のステージに辿り着いているからです。
汗と涙にまみれた茨の道がどこに続くか?彼ら自身が一番ご存知なのです。

親やパートナーだと本当に身体を心配して、声をかけてくれるものですが、この場合も『善意のドリームキラー』だと思って、気持ちだけ有り難く受け取るようにしています。

自分がラク出来る意見、自分を甘やかす意見は、自分を成功から遠ざけます。
厳しい意見こそが、本当に自分のためになることが多いのだと、年を取れば取るほど痛感しています。

新卒で入社した社会人一社目を振り返っても、優しい上司や先輩の言葉はあまり覚えていません。
その一方で、当時は苦手意識すら芽生えた厳しい上司や先輩の言葉ほど、年々輝きを増してきました。

そう考えると、本当の意味で優しかったのはどちらだったのでしょうか。
私の将来に、より強い責任感を持って下さっていたのはどちらだったのでしょうか。

最後に繰り返します。
その意見の主は、何を成し遂げている人ですか?

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