足るを知る

私の両親は末っ子同士ですから、幼少期は持ち家も無く、決してお金持ちな家庭ではありませんでした。
それでも本当にマメに家族サービスをしてくれる父で、G.W.や日曜日は色々な場所に連れて行ってもらった記憶があります。

母も共働きでしたから、幼少期は乳母に子守りをしてもらい、小学校に上がって以降も鍵っ子でした。
それでも寂しい思いはしたことなく、授業参観は毎回来てくれていて、誕生日やXmasなど、季節のイベントは毎年温かい時間を与えてもらった記憶があります。

クラスに1〜2人は親から何でも買い与えてられている友達がいて、彼らを羨ましいと思った記憶はありますが、それで自分が不幸せだったかといえば、全くそんな事はありません。
むしろ、何でも買い与えて子どもを満足させるのは、親の自己満足かもしれませんし、手抜きなのかもしれません。
「要求すれば何でもラクに手に入るわけではない」と理解させる事も親の大切な使命だと思います。

使命を蔑ろにして何でも与えていたら、いつか苦労するのは子どもです。

昭和に生まれ昭和に育った親世代と違い、私達の世代は生まれた時から、衣食住などの物資も教育も何でも恵まれていました。
しかし、恵まれて恵まれて不自由を経験せずに育った子どもは、社会に出てから脆いと思います。

幼少期に、辛抱や我慢を経験しているから、将来辛抱や我慢の出来る人材として活躍する。
幼少期に、辛抱や我慢を経験していないから、将来辛抱や我慢が出来ない人材として苦労する。

今の楽は将来の苦の種であり、今の苦は将来の楽の種です。

親は子どもが見上げるほどの背丈から、子どもより遥か遠くの景色が見えています。
子どもには見えていない遠くの景色(未来)を見据えて、「足るを知る」を教えて下さった両親に、とても感謝しています。

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